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比類ない図版の集成

小倉 孝誠 慶應義塾大学教授

 アルマン・ダヨー(1851-1934)の『図説フランス史』が復刻されることを、まず喜びたい。原著は1896年から15年かけて10巻本で刊行された大著である。ダヨーは美術史家、批評家であると同時に、長年にわたって芸術関連の政府機関に勤めて、要職に就いた。その立場を利用してみずから展覧会を企画し、画家に関する書物を著わし、1905年には美術雑誌『芸術と芸術家』まで創刊している。19世紀末から20世紀初頭にかけて、美術界で確固たる地位と名声を得ていた人物である。

 そのような経歴が、『図説フランス史』の構成にも反映されている。毎ページに図版が収められ、時にはその図版に詳細な解説が付される。とおり一遍のキャプションというものではなく、図版をつうじて歴史を読み解こうとする強い意志が感じられる。本書は、歴史の流れを叙述する文章があって、それを補足するために図版が添えられているのではなく、まず図版があって(その数と鮮やかさは、ほとんど他の追随を許さない)、図版を見るだけでフランス史をたどれるように構成されており、いわば文章が図版を補っているのである。「いつの日か、図像が歴史教育を刷新するだろう」という、当時の歴史学界の重鎮エルネスト・ラヴィスの言葉が第9巻の中扉に引用されているのは、偶然ではない。。

 革命とその後の19世紀に関する巻だけで全体の半分以上を占めており、ダヨーが「現代史」を重要視していたことが分かる。普仏戦争とパリ・コミューンに当てられた最終巻では、この歴史の悲劇にたいする著者の痛切な想いがにじみ出ている。当時しばしばなされたようにパリ・コミューンを野蛮な狂気として断罪するのではなく、一定の理解を示しているところが好ましい。第三共和制初期に絶大な人気を博した政治家ガンベッタを破格なまでに大きく扱っているのは、著者がガンベッタ内閣時代に美術行政に携わっていたからだろう。

 また、図版として写真にもとづく版画を多用しているのが特徴で、その写真を提供してくれたのは首相まで務めた政治家ヴァルデック=ルソーや、コミューン闘士ルイーズ・ミシェルといった、錚々たる人物たちだった。国内の定期刊行物のみならず、外国の新聞・雑誌に掲載された図版まで収録しており、歴史のイコノグラフィーとしては超一級の資料であることに疑いの余地はない。

 

 

 

フランスの図説史の歴史のこと

木村 三郎 日本大学芸術学部教授

 我が国でもよく知られた、アリエス著『「子供」の誕生』(1960)には、挿絵が歴史資料として使われ、そこには、日曜歴史家の面目躍如たる姿がある。しかし、歴史研究に挿絵を多用したのはアリエスが最初ではない。本書の著者ダヨーは、世紀末から20世紀前半におけるこの分野の第一人者であった。『図説フランス史』(全10巻、1896–1911)も彼のそうした業績の中の一つである。

 フランス近世の挿絵の歴史を考えると、17世紀前半に、北方の町アントウェルペンで花開いていた高度な水準の銅版画が、パリへ技術移転に成功した。18世紀の馥郁たるロココ時代の版画を経て、革命期は、イメージ・ジャーナリズムが政治を沸騰させる時代でもあった。文学畑の研究者諸氏のおかげで紹介が進んでいる、19世紀から刊行されているパリの図説誌であった『イリュストラシオン』には、膨大な数のイメージが挿入されている。他方、美術史系の図説叢書という視点からは、同世紀半ばに出されたブラン著『全画派の画家たちの歴史』(全14巻、1861–76年)を挙げることができる。そこには数千点にのぼる小口木版による複製版画が使われ、伴う比類なき絵画史の紹介となっている。この中の3巻が、フランスに当てられている。

 こうした歴史的背景を考えると、ダヨーの本書は、以上の成果を取り入れ、フランス史全体を視野に入れ編集されている。そこに認められる版画群は、フランス国立図書館版画室や、パリのルーヴル美術館の建物の一部にある装飾美術館の資料室でオリジナル作品が閲覧可能なものである。巻末にある索引には人名でも検索が可能であり、フランス史の著名人の肖像画事典として活用することができる。

 フランス史研究においてよく知られた、ヴォヴェル著の『図説フランス革命史』が刊行されるのが1986年であり、本書の歴史的な意味がよく理解できる。著者ダヨーは、美術雑誌の編集主幹であり、美術史家、批評家、ジャーナリスト、展覧会企画者として多彩な業績を残している。詳しい情報は、フランス国立美術史研究所INHAで閲覧できるHPにある。

 

 

 

 

ふくらむフランス史のイメージ

佐々木 真 駒澤大学教授

 アルマン・ダヨーの『図説フランス史』は異色の歴史書である。全10巻で3,000ページを超える分量であるが、通史的記述は各巻の最初の10ページ程度で終了してしまい、残りは図版で埋め尽くされている。詳細な解説が付けられている図版も多く、読者は時系列的に配置された図版を追っていくことで、フランス史の流れとともにそのイメージをふくらませることができる。それゆえ、掲載されている膨大な図像は、われわれ歴史を学ぶ者にとって、今日でも依然として大きな魅力と意味を持っている。

 まず驚かされるのが、フランス史の登場人物の図像がほぼ網羅されていることである。ルイ14世期の貴族や大臣といった細かな人物の情報とその図像へのアクセスは、これまで比較的手間のかかる作業であったが、本書を利用すれば容易に行うことができ、フランス史を創った人々をより身近なものにしてくれる。戦闘や著名な事件の図版が数多く掲載されていることも重要である。これらは、対象とする事件のイメージを提供するだけではなく、たとえば1787年の国王親裁座の光景のように、儀式の図版から制度史や国制史に関する情報が得られるように、様々な利用が可能である。絵画や彫刻、建築物など美術関係の図版は単に美術史や建築史のみならず、最近注目されつつある、権力や出来事の表象として読むことも可能である。家具や装飾品、馬車、服飾についても各時代の図版が網羅されており、習俗や人々の暮らしを研究する際に、われわれに重要なイメージを提供してくれる。

 このように、様々なジャンルの図像が網羅的に収録されているため、我々は多様な角度より、これらを利用することができる。たとえば、ルイ14世の治世やフランス革命期といった特定の時期の図像を共時的・網羅的に眺めることにより、その時代全体のイメージをつかむことが可能となる。その一方で、戦闘や服飾、工芸品といった特定のテーマにそって、長い時系列で通時的に図像を追っていくことで、そのテーマが与えてくれる情報の歴史的変遷を知ることができるのである。

 文字テクストの解説のための図版ではなく、図版に歴史を語らしめる方式を採ったダヨーの著作は、結果として今日でもその内容が色あせることがなく、読者の創意工夫で様々な情報を引き出すことが可能となっている。このような図版史料が復刻されたのは、非常に有意義なことである。

 

 

 

 

眼で見る歴史

篠田 勝英 白百合女子大学教授

 アルマン・ダヨー『図説フランス史』全十巻の刊行は時代順ではなく、1896年に出た第一巻は大革命を対象としていた。それから15年をかけて時間的順序は前後しながら刊行が続き、1911年に最終巻の中世篇が出版される。たしかに時代を遡るほど図像資料は少なくなるだろう。しかし、掲載する図像の収集が困難であったために刊行が遅くなったのかどうかは分からないが、図版によって歴史を語るという方針は最終巻まで貫かれている。シリーズを手に取ると、まず目に着くのは横長で、文字を主体とする頁を横二段に組んだ判型だが、これは当時の図版中心の書籍、とくに万国博覧会や美術展の官製報告書などでよく用いられる形式である。美術関連の行政畑出身という経歴のダヨーにとっては見慣れた判型かもしれない。大きな図版は頁全体を使って掲載されているので、なかなか迫力がある。第二帝政末期から1870、80年代に刊行されたポール・ラクロワ(愛書家ジャコブ)による一連の図版入り豪華本のシリーズ(『中世・ルネサンス期の風俗・習慣・衣裳』全四巻など、こちらは縦型)に比べると、銅版画中心だったラクロワ本より、写真の多用、銅版・木版・石版の利用で表現は多彩になっていて、図版の占める面積もずっと大きくなっている。

 実証主義的歴史観中心の時代であるから、図版の選択や歴史記述が、いわゆる事件史(histoire événementielle)の枠を越えることは難しく、図版に関しても地名・人名の固有名詞ばかりが目立つのだが、何が何でも歴史を図版で語ろうという精神はありありと感じられる。そこで思い出すのが、アーサー・ミーという人物が両大戦間にロンドンで出版した、図版10万を豪語する、眼で見る百科事典、I see all である(1982年に名著普及会による復刻版が刊行された)。最終的な出版形態は大きく異なるが、片や小項目の百科事典、片や大項目の歴史書という違いを超え、図版を集めまくるという、マニアックともいえそうな編纂の精神において通底するものがあるかもしれない。たとえばルネサンスの巻には、16世紀の奇書『パンタグリュエルの滑稽な夢』から採られた怪物の図版が並んでいる。これは『第五の書 ガルガンチュアとパンタグリュエル5』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2012)の付録で今や簡単に全貌を見ることができるが、20世紀初頭の人々にとってその奇っ怪な姿を目にするのは、きわめて珍しい、得難い経験だったことだろう。もちろん現代のわれわれが初めて目にする図版は他にも枚挙にいとまがない。まことに意欲的な企画である。

 

 

 

 

モード史として多様に使える『図説フランス史』

徳井 淑子 お茶の水女子大学名誉教授

 大好評を博した『図説ナポレオン』を契機として始まった本シリーズだが、図版の選択には、美術行政を通してフランス美術の啓蒙に尽くした著者らしい配慮がある。歴史のエピソードを語る絵画に諷刺画、時代を代表する文人や政治家や王の肖像画、そこに忘れずに風俗画やモード版画を差し挟む気使いが、服飾史家には嬉しい。なにより、これだけ多くのポートレートや風俗画が掲載されていれば、それらを追ううちに自ずと時代のモードが見えてくる。しかも歴史の文脈のなかでモードが生き生きと蘇る。服飾の表現性を読むにはこの文脈こそが肝心なのだが、これまで歴史の文脈からモードを切り取り、図像の人物や情景が何を語っているのか、往々にして服飾史は無視してきた。広範に広がる図像史料の歴史的背景をいちいち調べるのは困難だから、本シリーズは服飾史家を大いに助けてくれるだろう。

 Part 1の中世の巻も、メロヴィング朝からヴァロア朝まで王侯のポートレートや写本挿絵など大量の図像を集めているが、ただしこの時期には、当時の遺品を後の時代に模写した図版が混じらざるをえず、服飾史としてはこの点に気を付けねばならない。とはいえこのような図版であればこそ、私たちが理解に苦しむ図像を図解してくれ、役にたつことがある。たとえばルネサンスの巻にあるアンリ3世の肖像画。彼の髪型はロマン主義時代にアンリ3世風と呼ばれて若者のあいだで流行するのだが、髪型の詳細が肖像画の暗い筆致ではわかりにくいのを、本書のデッサンはすっきりと図示してくれる。

 服飾史の史料としてなじみの図像も多いが、なかなか見られない史料にも出会える。ボードレールが著者の道しるべであったようで、このダンディスムの実践者・理論家が評価したコンスタンタン・ギースの風俗画が、まとまって掲載されているのもその一つ。あるいは王政復古期の1829年、宮廷で催された仮装舞踏会が、メアリー・スチュアートのフランス王室へのお輿入れをテーマとしたことは記録で伝えられよく知られているが、役を演じた宮廷人それぞれの衣裳図が描かれていたとは!想像もしなかった史料の発見である。それぞれの関心で本シリーズをひもとけば必ず発見があるだろう。

 例えば黒人の犯罪に関して調査する場合、その実態を、飲酒との関わりなどさまざまな角度から分析し、解決策を模索する。郡の裁判所で記録を調べ、保安官にインタビューをするなど、フィールドワークを欠かさないワークは、ただ単に白人の描く「黒人=犯罪者」のイメージは違う、と主張しても意味がなく、確かなデータを提示することを重視した。