Athena Press

 

Le Diable à Paris復刻を喜ぶ

柏木 隆雄 大手前大学長

 うら若いユダヤの娘サラに取り憑いた悪魔アスモデは、サラの寝室で魚の肝を焼かれてその臭気に退散、一説にソロモン王を廃そうと企てて天使ガブリエルに追われて、 エジプトのとある洞窟に閉じこめられたという。この悪魔、いつ洞窟を抜けだしたのやら、17世紀スペインのゲバラのペンでよみがえり、 100年の後、フランスの才人ル・サージュがいっそう颯爽とした姿でマドリッドを舞台に縦横に活躍させることになる。 冒頭、町の家々の屋根をはがしてのぞき込む彼の姿は印象的で、以後、パリなど都会の探訪記事には必ずといっていいほど、アスモデが登場することになった。

ル・サージュの作品にも挿絵は添えられていたが、19世紀に入ると、フランスの、とりわけパリの建物や風俗を、当代きっての達者な画家の木版図版に描き出し、 人気作家の皮肉で洒脱な文章を彩る、いわゆる「挿絵本」が流行することになり、アスモデはまた忙しくなる。ルイ・セバスチャン・メルシエの『タブロー・ド・パリ』全12巻は 革命直後のパリの有様を克明に描いて出色だが、その50年後、いわゆる七月王政が始まってすぐに企画されたラドヴォカ書店の『パリ、101人の書』全15巻は、 その第1巻の劈頭に当代アスモデの口上がジャナンの口を借りて掲載されている。じっさいこの本は経営危機にあったラドヴォカ書店を救うために企画されたもので アスモデも粋な計らいに乗ったものである。パリのさまざまな生態を描くはずのこの書は、しかし、挿絵は各章カットやヴィネット程度で、 文章もまたパリ名所についての普通のルポルタージュに近い。

それから15年後、3度目にアスモデが姿を現すのが、今回復刻される『パリの悪魔』全2巻だ。こんどは開巻たちまち右手に片眼鏡、左に角灯をさげて、 書き潰しの紙くずや古本を溢れんばかりに詰め込んだ大きな籠を背負って、パリを跨いで睥睨する彼の姿を目にすることができる。 諷刺の効いた挿絵を描かせたらドーミエと並んで天下一品のガヴァルニが縦横に絵筆を揮ったパリ人たちの生態が、ふんだんに入っていて楽しませてくれる。

こうした19世紀「挿絵本」が日本でも注目されるようになったのは1980年代の後半あたりからではなかったか。

ちょうどその少し前にパリにいて、人並みに論文を書こうとしていた私は、陽のある間は少し真面目に勉強し、夜は完全に遊ぶという原則 (もちろん、しばしばイロイロな理由で破ることにはなったが)を立てていた。好きな古本屋通いも、日中のこととて自ら厳しく禁じたが、 よく往復するラスパイユ通りとレンヌ通りの交差点に近い一軒、ちょっと無愛想な感じの親爺さんの古本屋だけは特別に立ち寄ることにしていた。

ところがある日、サン・シュルピス寺院に何かのことで出かけた際、その近くのトゥゾ書店を覗くと、貴重本らしき古書ばかりを収めたガラスケースの中に、 緑の粒起革の背に金文字が浮いた八折大判の本が10冊ほど。『フランス人の描くフランス人』と『パリの悪魔』が同じ装丁で屹立していた。

女性の店員に見せてほしいというと、鍵をおもむろに取り出して、ケースの扉をあけ、さも大事な本を扱うように、それぞれの第1巻を渡してくれた。 表紙を繰ると鉛筆で頁いっぱい、本の体裁、内容などが書き込まれている。走り書きで判読しがたいところもあるが、値段の数字ははっきり読めた。高い。 いつもの親爺さんの店で日頃買い付けている本などの比ではない。得意の値切りもここでは通用しまい。

パラパラと頁を繰る。ガヴァルニやベルタルの挿絵、バルザックやジャナン、サンドのテクストが次々と目に入ってくる。垂涎、というのはまさしくこの場合にいう言葉だろう。 鍵をもったままじっとこちらの手元を見ている店員のまなざしに気おされて、本を戻しながら、さて、どうしようと思案した。少し値が張るけれど、今を逃したら、 また見つけるのは難しいのではないか。昔、躊躇したあげく、又の機会を待ってどれほど痛い思いを、何度したことか。

ええい、と思い切って二つのシリーズとも買うことにして、これが私の1年の留学のもっとも高い買い物となり、同時に貴重な土産となった。 『フランス人の描くフランス人』全8巻(1841−42)は付録の『プリズム』とともに、一種のパリ、地方を含めた風俗誌の百科全書みたいなものだが、 『パリの悪魔』全2巻(1845−46)は、後から企画、編集されただけあって、七月王政末期のパリの風俗を活き活きと描き出し、ガヴァルニのパリ人の挿絵も絶妙を極めて、 「挿絵本」としてまさしく王者の風格がある。

この本を元として、『悪魔の引き出し』2巻とか、1868年には大衆版の『パリの悪魔』4巻など何度も版を変えて刊行されたのも肯ける。 猥雑な、しかし魅力あるパリの表と裏がイメージと洒落た「レジャンド」で鮮やかに映し出されるのだ。巻末につけられたパリ市内の人口から始まって、食料の値段、 各種職業のサラリーなど、さまざまな統計の数字は、パリ研究のみならず、フランス近代社会の文化史的、社会史的展望にまた新たな視野を広げるに違いない。

こうした稀覯の本が、今回、新しい技術で精巧に復刻されるのは好事の人、学究の人双方にとってまことに喜ばしい。 悪魔アスモデも、フランスならぬ日本で活躍できることに快哉を叫ぶことだろう。