Athena Press

 

新しい少女の時代 ― 『ガールズ・レルム』(少女の領域)

川端 有子 日本女子大学教授

 

 『ガールズ・レルム』(少女の領域)は、ロンドンの出版社、ハッチンソン社が始め、カッセル社が引き継いで、1898年から1915年まで刊行していた月刊の少女向け雑誌である。一冊六ペンスの値段で、中流階級の10代の少女たちをターゲットにしていた。

 おもにエドワード朝に出版されたこの雑誌は、『ガールズ・オウン・ペーパー』など他の少女雑誌とは一線を画していた。既刊のそうした雑誌が、いまだにヴィクトリア朝的な女性観に基づいた伝統的な少女像を支えるものであったのに対し、『ガールズ・レルム』はまったく新しい少女像を提供するものであったのだ。「現代の少女たち(モダーン・ガールズ)は、<人形の家>に住むことにはうんざりしていて、結婚しようがしまいが、裏方に回ることなど決してない」(創刊号より)。

 現代の少女たち(モダーン・ガールズ)は戸外で活動的に暮らし、スポーツに秀でて、何よりも勇敢であることが求められる。かくして、『ガールズ・レルム』には、さまざまなスポーツに興じる少女たちの姿が描かれ、競技のルールや上達のコツなどが詳しくレクチャーされている。

 図版にも既存の雑誌とは大きな相違点が見られる。『ガールズ・オウン・ペーパー』に見るような、木口木版で繊細な線を用いて描かれた、大人っぽく淑やかな少女像とは違い、この雑誌の少女たちは、力動的な線とデフォルメされたフィギュアで、より生き生きと、年齢相応でアクティブな姿で描かれている。絵だけではなく、写真が豊富に使われていることも特徴的である。看護実習をする女性たちの姿や、職業婦人の肖像、外国の女性たちの写真など、雑誌の情報量と質においても、新しさが見受けられる。

 もっとも、少女たちの活動的な生き方は、「分別と常識、共感力」に裏打ちされていなければならなかったし、女性にふさわしい職業は、「家政、教育、保育、看護、そのほか、人生に優美さと上品さを与えるようなもの」であるべきだとされた。また、男性より体力的に劣り、感受性が鋭すぎるから、医者、歯医者、ジャーナリストなどはあまりお勧めでない、といったような限定はあったが、もはや少女雑誌も、現実の少女たちが置かれた変化の局面、局面に、次々応えていかねばならない状況にあったのだ。

 『ガールズ・レルム』が勇敢な少女をたたえた理由の一つに、この雑誌の出版されていた時代が、第一次世界大戦を前に、愛国心が高まってゆきジンゴイズムが高揚していく時期に当たっているということも無視できない。そのことは、連載小説にも見て取れる。

 この雑誌には、現代にも名前が残っている作家が多数寄稿している。中でもフランシス・ホジソン・バーネット、エリナー・ファージョンなどは、現在の日本でも翻訳が出版されている作家である。そんな女性作家たちに交じり、目立つのが、冒険小説家として名高いG. A.ヘンティの名前である。ヘンティは、19世紀末、少年向けに愛国的、帝国主義的冒険小説を量産したことで有名な作家であるが、非常に人気の高かった彼の作品のうち、『ガールズ・レルム』は、女の子を主人公にした短めの冒険小説をいくつか掲載しているのである。Vol. 3には『フロンティアの少女』、Vol. 5には『兵士の娘』など。前者はアメリカの開拓地において、後者は植民地インドにおいて、イギリス人少女の果敢な活躍を描く物語は、少女の世界にも、愛国的冒険心が貴ばれる時代が来たことを示している。しかし、物語の結末は、ヒロインの成長と冒険の終焉が一致するところで、新しい女性像にやや曖昧さが残る。

 このように『ガールズ・レルム』の少女表象は、今後、時代状況を鑑みつつ詳細に検討されるべきものであると考えられ、復刊版の出版に期待が寄せられる。