Athena Press

 

「新・新しい女の子」たちの憧れを紡ぐ雑誌

山口 みどり 大東文化大学教授

 

 『ガールズ・レルム』は、1898年から1915年まで刊行された少女向けの月刊誌である。創刊号の広告によると、同誌は女性誌『レディーズ・レルム』の妹版として「若いジェントルウーマン」を対象とした「ハイクラスな雑誌」として創刊された*。いわゆる「新しい女性」に照準を合わせた『レディーズ・レルム』同様、『ガールズ・レルム』も教育、スポーツ、娯楽、社交生活、ドレスなど生活のさまざまな側面で極めてモダンな少女像を提示する。今回アティーナ・プレスから復刻されるのは、この雑誌の1903年までの5年分である。

 少女雑誌というジャンルはヴィクトリア期後半に成立したとされているが、これは女子教育の不備に目が向けられ、少女たちの教育の場が次第に家庭から学校へと移行していった時期と重なる。なかでも『ガールズ・レルム』が誕生したのは、男子パブリックスクールの女子版、寄宿制の女子パブリックスクールが登場したヴィクトリア末期である。ローディーン校(1885年創立)やウィッカム・アビー校(1896年創立)といった新しい女子寄宿学校は、それまでタブーとされていたホッケーやクリケット、ラクロスといった集団競技を積極的に取り入れ、男子校並みに古典語を重視した。依然として女性ならではの制約に囲まれていた当時の少女たちにとって、こうした学校が憧れの世界であったことは間違いあるまい。この新しい寄宿学校こそが、『ガールズ・レルム』の性格を特徴づけるのである。アリス・コークラン、L・T・ミードをはじめとする当時の人気作家たちが鮮やかに描き出すのは、男の子と同様に寄宿学校で共同生活をし、集団競技に夢中になり、臆することなく困難に立ち向かい、男性と対等に渡り合う将来を夢見るモダンな少女――未来の「新しい女性たち」――なのである。

 寄宿学校に焦点を当てることで、『ガールズ・レルム』はそれまでの少女雑誌にない読者層とテーマの広がりを得たのではないだろうか。19世紀後半には、より多くの女性たちがイギリスから海外へと出て行き、海外育ちの子どもも増加した。クリミア戦争やインド大反乱後には、学齢に達した子どもたちを植民地から本国に送る傾向も強まった。「名門寄宿学校」シリーズやスポーツ特集、ヴィクトリア女王の死やボーア戦争といった帝国的な大事件など、目次に並ぶ記事タイトルからは、帝国(世界)各地から本国の「新しい女子寄宿学校」に行く「新・新しい女の子たち」、そしてそうした世界に憧れるさらに広い層の少女やその母親までを読者として掴もうとする意図がみえてくる。なかでも特徴的なのはボーア戦争中のレディスミス包囲時におけるイギリス系少女の勇気ある行動など、女性や少女のヒロイズムが強調されている点である。男性に護られるのではなく、勇敢に危機に立ち向かう少女ヒロイン像は、新しい時代を象徴するものといえるだろう。今回の復刻には含まれないが、6巻以降では女性参政権問題や第一次世界大戦も取り上げられていく。

 『ガールズ・レルム』は、記事と共におびただしい数の写真やイラストを掲載し、帝国各地の少女たちに本国イギリスの姿を、そしてイギリスの少女たちに世界各地の風物を見せている。なかでも、執筆者に尾崎テオドラを擁し、「分福茶釜」などの日本の昔話など、日本についての記事が多いのも、日英同盟の時期でもあり、興味をそそられる点である。ひな祭りを取り上げた記事(‘A Festival of Dolls in Japan’, vol. 4) では、尾崎は上級武士の家庭を訪れ、豪華な雛飾りを精細な写真に撮って説明している。美しい人形や調度類に多くの読者たちがうっとりとため息をつき、日本の少女たちに思いを馳せたのではないだろうか。本国の女子寄宿学校を中心に置くことで、『ガールズ・レルム』は、まさに帝国、 そして世界中に広がる想像の共同体「少女界」(ガールズ・レルム)を創り上げたといえよう。児童文学、教育史、女性史、ジェンダー史、帝国史に関心を持つ読者にぜひお薦めしたい雑誌である。

 

*Hearth & Home: An Illustrated Weekly Journal for Gentlewomen, 387 (October, 1898), p. 857 の中の広告。