Athena Press

 

総力戦と視覚資料

松原 宏之 立教大学文学部教授

 

 第一次世界大戦を記録した写真、絵画、風刺画は、アメリカ合衆国社会の経験を幾重にも読みほどく資料群と言うことができよう。

 戦争にも写真時代が到来した。コダック社が牽引した小型カメラ開発が、写真撮影者の裾野を広げていた。ハーフトーン印刷の普及は新聞や雑誌への写真掲載を容易にし、ビジュアル資料がマスメディアとしての威力を発揮しはじめていた。各国軍は写真を用いた報道に当初慎重だったが、第一次世界大戦は戦争が写真で報道される時代を本格化させた。1917年に参戦したアメリカ軍もまた通信部隊付きのカメラマンと後には民間カメラマンに写真撮影を許可した。本シリーズ第一部・第二部に収められた写真群は、新兵器が投じられた戦場だけでなく、兵士と軍団の日常、ヨーロッパ諸地域住民との交流まで、ヨーロッパへと遠征したアメリカ軍の動静を伝えてあまりある。

 こうした視覚資料は、写真撮影者や編集者の意図の所在をうかがわせる意味でも興味深い。280万人に及ぶ民間人を徴兵し、銃後の国民を動員せねば、この総力戦をたたかうことはできなかった。本シリーズ第一部収録の米軍公式写真が提示したのは、時系列に沿って、兵士を動員し、進軍と戦闘を繰り返し、凱旋を果たすアメリカ軍の軌跡である。強調されたのは、指揮官パーシング将軍を筆頭に将校から兵卒の士気の高さであり、それゆえのゆたかな戦果とヨーロッパ諸地域での歓迎ぶりであった。それらは、アメリカ軍兵士の奮戦を記録し称揚すると同時に、国民から同意と納得を調達する試みでもあっただろう。なにが撮影と公開に値したかを検討するならば、この資料から読み取りうることは数多い。

 比較しながら、第二部にみるアメリカ傷痍軍人会(Disabled American Veterans)が1934年に刊行した写真集を見てみよう。提示されたアメリカ兵はいっそう勇壮と言えようか。戦場と兵士、航行する軍艦、戦闘機や車輌からマシンガンにいたる武器などとともにアメリカ軍の功績を誇示したうえで、二巻組の終盤に傷痍兵たちの姿を配した。ナチス・ドイツ、ソ連、イタリア、日本(満州)の情勢を伝えて、アメリカに次の戦争の準備はあるかと問うて、その準備には傷痍兵対策が入らねばならないと訴えかけた格好である。南北戦争を契機にいち早く軍人への社会保障を始めたアメリカではあったが、在郷軍人会ほか諸団体が分立した1920年代を経て、1930年の退役軍人庁の発足とともに軍人たちへの社会保障制度はようやく基礎を固めた。福祉国家体制の起点として位置づけられる第一次世界大戦だが、従軍兵たちがただちに権利を手にしたわけではなかった。旧軍人が傷病に見合った保障を引き出すためには、アメリカ社会にとっての従軍経験の価値を受容せしめる過程が必要であり、視覚資料はこうした折衝にも用いられた。

 第三部が収録する絵画や風刺画は、ある意味では写真よりも能弁に、大戦当時の戦争観の諸相を描き出す。赤十字職員女性を射殺したドイツ人官憲を描いた漫画に「ドイツ文化GERMAN “KULTUR”」と見出しをつけた含意はあきらかであろう。アメリカが体現する「文明」に及ばないドイツ「文化」を対照的に提示したのである。戦争債購入を呼びかけるポスターが、「フン族を止めよ」と題して、いまや女性を襲おうとするドイツ兵を制止するアメリカ兵を描くのと同様である。台頭する写真メディアに対抗するようにして、絵師や漫画家たちが自らの戦争への貢献を強調しようとした試みとしても読むことができるだろう。

 もっとも、こうした資料はときに、政府や軍、写真撮影者、芸術家たちの思惑を超えた事態を映し出しもする。第一次世界大戦はたしかに国力の総動員を必要としたが、その実践はたやすくなかった。徴兵可能な者を求めて国民を把握し、武器から食料にいたる生産を管理し、情報統制や監視をも用いて戦争への協力を調達するのは大事業であった。視覚資料は、こうした事態への喫緊の対処の痕跡であり、その対処が破綻しかねない場面をときに露呈する。

 出征兵を見送って涙する女たちの写真は彼女らの貢献を顕彰するとともに、徴兵への抵抗感に英雄的な献身という物語枠組みを与えて不満不安を解消しようとする試みでもあっただろう。徴兵者を選出する「世紀のくじ引き」写真は、徴兵制度導入自体への根強い抵抗を念頭においてはじめてその写真がはらむ緊張感を読み解ける。写真集に繰り返し登場したのは、従軍して軍の運営を支えた女性たちや赤十字やYMCAといった民間団体であった。小さな常備軍しか持たなかったアメリカがにわかに編成した軍隊の成功は危ぶまれたのであり、注目せざるを得なかったのであろう。兵士たちの訓練や余暇のシーンもまた、多くの民間人を徴用した軍隊が不道徳と不摂生の巣窟にならないかという懸念を払拭しようと撮影した側面があっただろう。解放した住民たちに迎えられる米兵の写真は、辺境国アメリカがはたしてヨーロッパで受け入れられるのかという心配への応答と言えよう。

 戦果の鼓吹にとどまらずアメリカ軍の日常までを克明に映した写真や絵画は、政府や軍にあって総力戦を遂行しようとする人びとの関心や不安のありかをはしなくも垣間見せる。幾重もの検討に付されるべき資料である。