Athena Press

 

Part II —1900-1945 刊行によせて

山里 勝己 琉球大学教授

 アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」は、ワイオミング州ブロークバック・マウンテンを背景に、2人のカウボーイの20年にわたるホモセクシャルな関係を抒情豊かに描いた映画である。原作はアニー・プルーの同名の短編。このような映画を見ていると、「西部」、大自然への憧憬、そしてヒーローとしてのカウボーイが、いまなおアメリカの想像力にダイナミックに働きかけ、新たな文化が生成されているということが理解されるのである。カウボーイというステレオタイプが、21世紀初頭にいかに変容を遂げているかということも、この映画は教えてくれるだろう。

 ワイオミングのカウボーイと言えば、われわれはオーウェン・ウィスター(Owen Wister)の『リン・マクリーン』(Lin Mclean, 1897、『アメリカ西部大衆小説選集、Part I、第9巻)を思い出す。この作品は、ワイオミングのカウボーイ、リン・マクリーンが西部から東部へと旅する物語であるが、西部と東部の比較が随所に見られ、アメリカ内部の比較地域文化論としても興味深い。しかし、文化史的、あるいは文学史的に、なによりも興味深いことは、新しい文化ヒーローとしてのカウボーイの誕生が、大衆文学のレベルでは、1890年代から1900年代にかけてのウィスターの作品を中心とする西部大衆小説の浸透に負うところが大きいということである。

 アティーナ・プレスの『アメリカ西部大衆小説選集、Part I The Nineteenth Century(全10巻)では、1830年代半ばから1900年までの、西部大衆小説の代表作を選んでみた。つまり、西部大衆小説の誕生から、新しいヒーローとしてのカウボーイが登場してくる頃までの作品を厳選して編集したものである。特に、現在入手しにくい作品や、最近の学術研究で評価の高い作品、あるいはしばしば言及されるが入手がほとんど不可能な作品を厳選した。当然ながら、アメリカ西部大衆小説で現在も出版されているものは除外したが、選集としてのバランスを考えて特に必要だと思われるものを本選集に収録した。

 アメリカ西部大衆小説選集、Part II 1900-1945(9)では、20世紀前半の代表的な西部大衆小説を集めてみた。Part Iと同様に、現在入手しにくい作品や、最近の学術研究で評価の高い作品、あるいはしばしば言及されるが入手がほとんど不可能な作品を厳選した。

 例えば、1900年から1930年頃までの間に、西部大衆小説(ウェスタン)を社会に浸透させることにもっとも功績のあった作家の一人にゼーン・グレイ(Zane Grey1872-1939)がいる。西部大衆小説、あるいは「ウェスタン」を語る際に、多くの読者はいまなおグレイの作品に言及するはずである。本選集にはその作品からThe Vanishing American (1925)を収録した。

 1930年代には、西部大衆小説はひとつのジャンルとして確固としたものとなり、1950年に死去したヘイコックス(Ernest Haycox1899-1950)は「ハムレット・ヒーロー」と呼ばれる人物像を造形するなど、西部大衆小説はステレオタイプを越えて深化されるようになった。1960年代以降は、周知のように、西部大衆小説が立脚する価値体系は辛辣に批判され、パロディーの対象となった。白人は虐殺者として描かれるようになり(例えば、映画「ソージャー・ブルー」)、伝統的な白人のヒーローに代わってメリカ先住民がヒーローとして登場するようになる。あるいは、近年は赤裸々なセックスが描かれ、ジャック・ビッカムやスティーヴン・オヴァホルザーの作品に見られるように、女性が活躍する作品も多く書かれるようになった。アフリカン・アメリカンやメキシカン・アメリカンの扱いもバランスあるものになってきた。そして、ついには「ブロークバック・マウンテン」に見るように、ホモセクシュアリティの大胆な表象がカウボーイ世界に浸透するようになってきたのである。このようなカウボーイ像の変容は、とりもなおさずアメリカ社会とその文化の変化を反映するものであろう。

 アメリカ大衆小説は、アメリカ大衆文化を理解するための貴重な資料であり、アメリカ研究には不可欠の道具である。Part IIでは1945年までの代表的な西部大衆小説の作品を選択してみた。本選集に収録された作品を再検討、再評価することで、斬新なアメリカ文化研究とアメリカ像の構築が進展することを期待したい。